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テブラ―マン知事

[知事訪米]玉城知事、県と日米両政府の3者協議を要請 辺野古移設 米は返答せず

2018年11月16日 05:00

 【ワシントン=座波幸代本紙特派員】米首都ワシントンを訪問中の玉城デニー知事は14日(日本時間15日)、国務省のマーク・ナッパー副次官補代行、国防総省のポール・ヴォスティ日本部長代行の両者と国務省で会談した。玉城知事は米軍普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古の新基地建設に反対の意向を伝え、県と日米両政府の3者協議を開催するよう要請した。米側は「辺野古が唯一の解決策」と従来の見解を繰り返し、3者協議についても明確な返答はなかった。会談後、国務省は「普天間飛行場の代替施設建設は揺るぎないコミットメント(約束)」と声明を出し、玉城知事と米政府関係者との初会談は平行線に終わった。

 会談後、玉城氏は記者団に対し「辺野古が唯一と言っている限り、暗礁に乗り上げた問題だ。動かすためには、動かす立場にいる人たちが話し合わないと船は動かない」と、3者協議の必要性を重ねて主張した。

 県民が選挙で何度も新基地建設に反対の民意を示しているにもかかわらず、日米両政府が一顧だにしない状況に「県民は不満を高めている。そういう状況にあっては、日米の安定的な同盟関係、ましてや沖縄の基地負担軽減など、県民の不安は払拭(ふっしょく)できない」と、米側に警鐘を鳴らした。

 また、埋め立て予定地の一部が軟弱地盤とされていることも説明。地盤改良など、工法の変更には県知事の許可が必要であり「工事の完成にはまだまだ時間がかかる」と伝えたが、米政府側からのコメントはなかったという。「日本と米国は双方がこの問題のおのおのの当事者であり、責任者であることを忘れないでほしい」と、米政府側に強く訴えた。

 メイジー・ヒロノ上院議員(民主)、デイビッド・プライス下院議員(同)、杉山晋輔駐米大使らとも同日、面談した。玉城氏は4日間のニューヨーク、ワシントンでの日程を終え、15日に帰国の途に就く。


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 県税使って外遊して何の手土産も無しか、まあ管理人はこの人物の沖縄県精が日本の一地方政治として国政に貢献するなんぞとは露程にも考えていなかったし、左程有能な首長とも捉えていなかったから驚きもしない。かわいそうなのは 「本土から入り込んだ運動家」 に翻弄される生粋の沖縄県民だろうよ。
沖縄左翼座り込み1_convert_20161023010229
沖縄左翼座り込み2
沖縄左翼座り込み3

 おっと、手が滑った。
へのこの反対派はうちなーんちゅじゃありません

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プギャーm9(^д^)

元朝日記者の損賠請求棄却…慰安婦報道巡り

2018年11月09日 16時15分

 朝日新聞社のいわゆる従軍慰安婦問題の報道を巡り、元朝日記者の植村隆氏(60)がジャーナリストの櫻井よしこ氏(73)と出版3社に名誉を傷付けられたとして、計1650万円の損害賠償などを求めた訴訟で、札幌地裁(岡山忠広裁判長)は9日、請求を棄却する判決を言い渡した。

 植村氏は2015年2月、朝日記者時代に書いた元従軍慰安婦とされる女性の証言記事を、雑誌で「捏造記事」と報じられ、 名誉を傷つけられたとして札幌地裁に提訴していた。


https://www.yomiuri.co.jp/national/20181109-OYT1T50068.html

マスゴミ植村隆

 ぎゃ~はっはっは。ものの見事に門前払いされてやんの。札幌地裁は空気読んでGJだ。日頃「戦後日本の良心」だの「ペンの正義」だの自画自賛しながら先人を貶め続けたアカ匪の主張はもう通用しないだろうよ。

 先ずは第一ラウンド優勢ってとこかな?最終ラウンドの判定までアカ匪には荊の道を歩んでもらおう。


プギャーm9(^д^) 



 

火力弱いぞ、弾幕薄いぞ

自爆スイッチ韓国

慰安婦募集広告明細

 先月の南朝鮮の判決は予想通りの【匪・法治】判決だったし、こっちも大笑いだったよ。どんどんやれよ、大いに反日してくれ。その方が却って断交が捗るし、密入国者二世三世四世の追放送還への近道だ。

 もう断交待ったなしだ、在日は返すからさっさと宣戦布告してくれ。漢江の奇跡とやらも元通りにしてやるべしだ。何、自称【アジアの白人】なんだろ?日本の助けが無くても更に経済成長出来るところを見せてくれ。

 別に管理人は朝鮮人の薄っぺらな自尊心や民族性を批判なんぞする気は毛頭無い。寧ろ憐みすら覚える。と言うか、我国の保守派派は南朝鮮に自制を奨めたのになあ。まあ南朝鮮の現政権はノムたん以上の真っ赤っ赤政権だ。そのまま赤い乱放射で自滅したらヨロシ。あ、その前に在日は送還でバーターね。

最高の贈り物

ガオー



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 縄文の歌姫葦木ヒロカさんからのクラウドファンのリターン、ポストカードやメッセージやCDと一緒にガオーTシャツまで頂いて。俺ぁいの宝物だじ、ずっと大切にしよっと。

何故(なじぇ)かパヨクはダンマリ

12歳の少女のからだに刻まれた済州4・3の記憶

10/27(土) 7:16配信
慰安婦第五種補給品

[済州4・3企画 椿に尋ねる 2部(3)] 江汀マウル(村)の12歳の少女に加えられた 「西北青年会」出身軍人の拷問 3歳上の姉は、法還支署に連行され過酷な拷問受け 兄は行方不明…母は姉妹の前で銃殺され 「猫を見ただけでその時の情景を思い出し今もからだが震える」 多くの住民が犠牲になった江汀マウルは海軍基地で苦痛

「コパン(小規模食糧倉庫)にある穀物を食べようとしてネズミが行き来するじゃない。それを見た猫が私の背中を踏んで“ダダダッ”と追いかけて。電気も点いていないコパンにいるだけでも怖いのに、私のからだの上でネズミと猫が飛び回ることがもっと恐かった。一人身を縮めてブルブル震えていました」

 今月20日、チョン・スンヒさん(82)に会うため済州オルレ(小道)7コースにある西帰浦市(ソギポシ)江汀マウルを訪れた。5月に続き2回目の訪問だった。チョンさんは、中庭の木枝を整理していた。済州(チェジュ)4・3が起きた1948年、当時12歳の少女だったチョンさんは、70年が過ぎた今でも恐ろしい拷問の記憶を振り払えずにいた。下の兄のチョン・ドンホさん(当時17歳)を捜して家を包囲した軍人たちが、下の姉を近隣の法還(ポプファン)支署に、チョンさんを江汀小学校に連れて行った。チョンさんは、学校の前のわらぶき屋根の家のコパンに拘禁された。10坪もないわらぶきの家の居間には、西北青年会で構成された軍人が泊まっていて、別の部屋は拷問室になっていた。彼らは「兄を匿ってお前たち姉妹が食べ物を運んでいるのを見た人がいる」として、チョンさんに残忍な苦痛を加えた。

12歳の少女に水拷問・電気拷問まで

 「丈夫な紐で足と腰、胸と腕とを束縛し、扉に縛り付けて。そして逆さに立てて地面にドンドンと打ち付ける。頭がどうなると思う?」。チョンさんが自身の頭頂部をなでながら「その時、髪が抜けて、ここがすっかり擦り剥けてしまった」と話した。彼らは、ヤカンに入れた水をチョンさんの鼻と口に無理やり注ぎもした。

 「水を吸い込めば、これで死ぬんだなと思うほど息が詰まった。正直に言えと言って、鉄串を歯の間に刺し入れて、強制的に口を開かせた。その時以来、ずっと歯が2本無いまま生きてきた」。歯を見せながら当時の姿を再現するチョンさんの顔には深い皺が刻まれていた。

 「それはまだマシな方。水を飲まされて腹が膨れると、腹をドンドンと押す。ぐっと息が止まる。するとバケツに水を汲んできて浴びせる。“ビクッ”として目が覚める」

 軍人は幼い少女のからだに電気拷問まで加えた。「それもまだマシだった。竹の棒に金具をぶら下げて、脚をブスッブスッと刺した。すると“ジューッジュー”と音がした。脚から血膿が流れ出た。胸や肩も刺して、腫れあがってしまった」。チョンさんは「それはまだマシ」という言葉を繰り返した。ますますあくどい拷問が続いたという意味だ。

 1948年冬、済州には珍しく大雪が降った。拷問で痛めつけられたチョンさんが寒風が吹き込むコパンの隙間から眺めた外の景色は一面白い雪に覆われていた。寒気がチョンさんを一層苦しめた。拷問を加えた彼らは、寒い冬にもかかわらずチョンさんを濡れた薄い服で放置した。食べ物は一日に一回投げられる子供の掌ほどの握り飯だけだった。法還支署に連行された3歳年上の姉も同じような拷問に遭った。

死の淵からようやく生きて戻ってきたが…

 チョンさん姉妹が連行されたのは、1948年11月21日に近所の中文里(チュンムンリ)の道路整備作業に動員された中学生の兄が西北青年会の軍人に殴打され銃で撃たれた後に行方不明になった直後だった。チョンさんは「兄と同じような年頃の5人がトラックに乗せられて、一人の子どもがこんな車に乗るのは初めてだと言って笑うと、笑ったなと言って銃尻で殴ったと言う。うちの兄が『子どもが笑って何が悪い』と制止すると、軍人数人が『なんだ、この野郎』と言って兄を銃尻で滅多打ちにしたと。中文のある川辺に着いて、兄が橋の下に飛び降りると、軍人が弾丸が無くなるまで銃を撃ったと言う。その後、兄の姿は見ていない」

 チョンさんは、兄と一緒にトラックに乗った“笑った子ども”が、後日訪ねてきて「自分の代わりに死んだ」と言って、その時の状況が分かったと話した。

 チョンさんは「ある住民が、私たち姉妹が兄を匿って食べ物を運んでいると嘘の告げ口をしたせいで、あの拷問に遭った」と話した。チョンさんは、軍人に告げ口した住民との対面を要求した。ひどい拷問にもかかわらず兄の行方を言わないので、軍人はその住民をわらぶきの家に呼んだ。チョンさんは彼に駆け寄って「兄に会いたい。どこにいるのか。教えてほしい」と泣き叫んだ。軍人は「子どもが嘘をついているようには見えない。正直に言え」と言って殴ると、彼は「見間違ったようだ」と言ったという。しばらくしてチョンさん姉妹は解放されて自宅に帰ったが、西北青年会の軍人たちは姉妹を「暴徒のガキ」に名指しして動態を監視した。数日後の1948年12月16日、西北青年会の軍人たちは、チョンさんの母親とチョンさん姉妹を含めて多くの住民たちを学校の西側のメモル山に引き立てた。その時、近づいてきたある軍人が「子どもたちには罪がない。やりすぎではないか」と言って、チョンさん姉妹の手を握り出て来させた。そのようにして死の淵から生還した。


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181027-00031942-hankyoreh-kr

人権利権

 おや?韓国左派系のハンギョレが報じてるのに、日本の人権派は何も言わないの?自国民を平気で虐待する隣国の所業は見て見ぬ振りして、所謂従軍慰安婦問題では検証なしの証言のみで我国を散々悪しざまに罵ってたのになあ。
 この有り様こそが所謂人権派市民団体とやらだ。我々日本人は、自国民に対して無慈悲な虐待なんぞ決してしない。それが万年遡っての民族性というもの。然るに周辺国は同朋に対しても平気で引き金を引く残虐民族ばかりだ。それらが戦後巧妙に日本に入り込み、【市民】を名乗って日本を壊そうとしている。壊される前に●してしまうべきだ。


チョンバルサン
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