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ありゃま、ほうじゃあるめぇ

げんばのじょう -玄蕃之丞

玄蕃之丞

あらすじ
信州の塩尻、桔梗ヶ原と呼ばれる土地に、はなという女の子が住んでいた。はなは家族思いの優しい女の子で、特に曾祖母である千代のことを、ばばちゃんと呼び慕っていた。ある日、はなの村に“夏川源左衛門一座”という旅芸人がやってくる。村人は大喝采で彼らを迎え、祝儀をはずむ。興行を終え、祝儀の中身を確認していた彼らのリーダーは、好物の“おやき”を見つけたことで興奮し、キツネの姿になってしまう。彼らの正体は実は、辺り一帯のキツネを束ねる、玄蕃之丞(げんばのじょう)とその仲間、お夏と新左衛門が人間に化けた姿だったのだ。正体がばれたと思い、焦った玄蕃之丞は、「正体を秘密にしてもらう代わりに一つだけ願いを聞いてやる」とはなに提案する。その申し出にはなは、「ばばちゃんに桜を見せてあげたい」と答えるが……


玄蕃之丞2
http://anime.eiga.com/movie/105454/

 やいやい、随分とローカルな伝承が知らねえ間にアニメになってちまってたじやい。(尻尾は出て無ぇな、、、)でも、こういった素朴な伝承や民話を元にした発展型の物語こそが地域に誇りや活力を宿らせるんだよな。

 信濃を離れて十数年、加賀者になって数年目の半端者謂わば余所者半分の管理人ではある。然し寧ろ半分県外者同然だからこそ却って生まれ在所を見直すことが出来る。

 大北や南安曇、筑摩や諏訪それぞれの素晴らしさや陰の部分、いい所悪い所様々だよ。そういった清濁合せて包み込むことが可能な風土や歴史を持った奇跡の国こそが我が日本国じゃあ無いのかな?

 因みに管理人は【横出ヶ崎】なんて聞いたこと無いじ。



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嬢に引かれて善光寺まいり

【牛に引かれて善光寺参り】は信州人なら皆が知る話し。管理人も行って来ました。

善光寺山門

  その間中表参道の賑わせるよさこいソーランの演舞衆。
善光寺ヨサコイ

  生まれ育ちは違っても、地方気質も違えども、最後に皆が一体となり達成感を共有する。これこそが日本人なんだよな。

  べ、別に下心で善光寺迄行ったんでは無いニダよ。

  ヒロカ嬢

 一応はこっちがメイン。



祖国は昔から賢かった

日本は賢い! 古代中国から「なんでも闇雲に学ぶのではなく、取捨選択をした」=中国メディア

2018-03-31 11:12

 日本はかつて古代中国から多くのことを学んだが、すべてをやみくもに導入したわけではない。歴史を通じて有名な官吏採用試験制度である「科挙」や「宦官」は、日本で広まることはなかった。中国メディアの今日頭条は25日、日本はなぜ中国の科挙制度や宦官制度から学ばなかったのかと題する記事を掲載した。

 日本が遣隋使や遣唐使を通して中国から多くを学んだのは事実だ。しかし記事は、「遣明使や遣清使がなかったことからわかるように、明や清には学ぶべき文明はなかった」と指摘。本当に進んでいた隋や唐からは学び、進んだ文明ではなかった明や清からは学ぶことはせず、のちに西洋から学ぶことにした日本は賢いと論じた。

 特に、日本人が科挙と宦官の制度を採り入れなかったのは、非常に賢い選択だったという。科挙は階級の固定化問題の真の解決にはならず、むしろ、「中国人の根底に流れる卑しさ」を生んだと指摘した。紙の上でへつらって科挙を受けるか、宦官としてへつらって金のために自ら妖怪になるしかなかったからだいう。

 では、「科挙にはまってしまわなかった」おかげで、日本はどんな方向に進んだのだろうか。記事は、日本が全国に今の小学校教育を普及させたのは正しかったと称賛。中国が科挙を採用していた清の時代に識字率が10%だったのに対して、科挙を取り入れず階級が固定化していた日本では40%だったという。しかも、これには各階級の武士も含み、彼らは西洋の騎士のように文武両道だったと中国との違いを指摘した。

 科挙制度がなくても日本では識字率が高かったことは注目に値することだ。これは寺子屋などがあって庶民でも文字を学ぶことができた環境も大きいだろう。いずれにしても日本人は、良いものだけを選りすぐって学び導入することに長けていたと言えそうだ。(編集担当:村山健二)


http://news.searchina.net/id/1656407?page=1

 今頃気付いたの?我国には科挙や宦官だけでなく、纏足や阿片等々「知識」としては輸入されても実行されなかったものは幾つもある。
 もっと言えば、遣隋使や遣唐使は「日本には無いもの」を補うために派遣されたのであって、別に支那と師弟関係であったわけではない。このことは「旧唐書」をみれば一目瞭然だ。
 それにしても返す返すも口惜しいのは、このことのに支那人の方が先に気づいたという点だ。あの国でさえこんな意見がネットで出回るというのに、我国では未だににGHQ⇒日教組の反日史観が蔓延っている。




 上の動画には多少の異論もあるが、日本は日本としての一つの文明圏であり、シュリーマンが唱えた四大文明や、中南米のマヤ・アステカとも違って太古の精神が現代に受け継がれてるんだよな。





讃えることも烏滸がましいかも

部下に覆いかぶさり背中に噴石直撃…死亡陸曹長

1/25(木) 20:06配信

 今回の噴火で死亡した陸上自衛隊第12旅団第12ヘリコプター隊の伊沢隆行陸曹長(49)(死亡後、3等陸尉に特別昇任)が、部下の隊員をかばい、噴石の直撃を受けていたことが25日、関係者への取材でわかった。

 一方、陸自と群馬県は同日、「遺族の了承を得られた」として伊沢さんの氏名を公表した。

 陸自や関係者によると、伊沢さんは23日午前9時50分頃、他の隊員7人と共に山頂から滑降を始めた。約10分後、スキー場北側の本白根山から轟音(ごうおん)が響き、噴石が降ってきた。すぐに隊員らはコース脇の雑木林に避難したが、林の中にも噴石が降り注ぎ、隊員らは次々と倒れていった。伊沢さんは、近くにいた部下を守るように覆いかぶさった。その背中を噴石が直撃したという。

 噴石がやんだ午前10時10分頃、隊員の一人が携帯電話で救助を要請。救助が到着するまでの間、伊沢さんのおかげで軽傷で済んだ部下らが、動けない隊員たちに声をかけ続け、伊沢さんは「肺が痛い」と話していたという。伊沢さんは麓に運ばれて救急車に乗せられたが、車内で心肺停止となり、午後0時半頃、搬送先の病院で死亡が確認された。


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180125-00050087-yom-soci

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嗚呼、打坂峠

昭和22年9月1日午前10時ごろ、当時21歳の鬼塚道男(おにづかみちお)車掌は、西彼杵郡時津村(現在の時津町)打坂で、乗客の生命を救おうとして殉職した。

当時の木炭バス瀬戸営業所勤務の鬼塚車掌は、この日の朝8時、大瀬戸発長崎行の木炭バスに乗務、満員に近い客を乗せ、打坂を約30メートル上っていた。ところが峠の頂上まであと数メートルというところで、突然、ブレーキがきかなくなり、バスはずるずると後退を始めた。

当時の打坂は急こう配で片側は10メートル以上の深い崖がひかえ、運転者仲間に”地獄坂”と恐れられていた坂だった。
鬼塚車掌はすぐにバスを飛び降り、道わきの大きな石を車輪の下に入れたが、加速がついていたバスは石をはねのけ、崖まであと一歩と迫った。この時、鬼塚車掌はとっさに後部車輪の下に飛び込み、自らの体を輪止めにした。バスは間一髪のところでストップ、買い出しの主婦ら30数人は危うく難をのがれたが、鬼塚車掌は運転者とかけつけた同僚が病院に運んだ直後に息を引き取った。

敗戦後の荒廃した社会の中、自らの命を犠牲にして乗客を救った鬼塚車掌の殉職は人々に大きな感銘を与えた。

当社では、この勇気のある鬼塚車掌の行為をたたえるとともに交通事故の絶滅を祈って、
昭和49年10月、事故現場近くに地蔵尊を建立した。

長崎自動車株式会社 『五十年の歩み』より抜粋


https://nagasaki-bus.co.jp/bus/jizouson/index.html

                              鬼塚車掌

 この逸話は絶対に後世に伝えるべきだ。だって滅多に出来んぞ、こんな自己犠牲の精神の発露を。しかもミーイズムが蔓延した今の日本、でこんな事を咄嗟になんか絶対に出来ない。管理人も含めてだよ。

 書いてるうちに涙が出て止まらない。真似は出来なくても精神だけは絶対に忘れまい。

 下の画像は鬼塚車掌を弔った地蔵尊。


打坂地蔵



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