讃えることも烏滸がましいかも

部下に覆いかぶさり背中に噴石直撃…死亡陸曹長

1/25(木) 20:06配信

 今回の噴火で死亡した陸上自衛隊第12旅団第12ヘリコプター隊の伊沢隆行陸曹長(49)(死亡後、3等陸尉に特別昇任)が、部下の隊員をかばい、噴石の直撃を受けていたことが25日、関係者への取材でわかった。

 一方、陸自と群馬県は同日、「遺族の了承を得られた」として伊沢さんの氏名を公表した。

 陸自や関係者によると、伊沢さんは23日午前9時50分頃、他の隊員7人と共に山頂から滑降を始めた。約10分後、スキー場北側の本白根山から轟音(ごうおん)が響き、噴石が降ってきた。すぐに隊員らはコース脇の雑木林に避難したが、林の中にも噴石が降り注ぎ、隊員らは次々と倒れていった。伊沢さんは、近くにいた部下を守るように覆いかぶさった。その背中を噴石が直撃したという。

 噴石がやんだ午前10時10分頃、隊員の一人が携帯電話で救助を要請。救助が到着するまでの間、伊沢さんのおかげで軽傷で済んだ部下らが、動けない隊員たちに声をかけ続け、伊沢さんは「肺が痛い」と話していたという。伊沢さんは麓に運ばれて救急車に乗せられたが、車内で心肺停止となり、午後0時半頃、搬送先の病院で死亡が確認された。


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180125-00050087-yom-soci

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嗚呼、打坂峠

昭和22年9月1日午前10時ごろ、当時21歳の鬼塚道男(おにづかみちお)車掌は、西彼杵郡時津村(現在の時津町)打坂で、乗客の生命を救おうとして殉職した。

当時の木炭バス瀬戸営業所勤務の鬼塚車掌は、この日の朝8時、大瀬戸発長崎行の木炭バスに乗務、満員に近い客を乗せ、打坂を約30メートル上っていた。ところが峠の頂上まであと数メートルというところで、突然、ブレーキがきかなくなり、バスはずるずると後退を始めた。

当時の打坂は急こう配で片側は10メートル以上の深い崖がひかえ、運転者仲間に”地獄坂”と恐れられていた坂だった。
鬼塚車掌はすぐにバスを飛び降り、道わきの大きな石を車輪の下に入れたが、加速がついていたバスは石をはねのけ、崖まであと一歩と迫った。この時、鬼塚車掌はとっさに後部車輪の下に飛び込み、自らの体を輪止めにした。バスは間一髪のところでストップ、買い出しの主婦ら30数人は危うく難をのがれたが、鬼塚車掌は運転者とかけつけた同僚が病院に運んだ直後に息を引き取った。

敗戦後の荒廃した社会の中、自らの命を犠牲にして乗客を救った鬼塚車掌の殉職は人々に大きな感銘を与えた。

当社では、この勇気のある鬼塚車掌の行為をたたえるとともに交通事故の絶滅を祈って、
昭和49年10月、事故現場近くに地蔵尊を建立した。

長崎自動車株式会社 『五十年の歩み』より抜粋


https://nagasaki-bus.co.jp/bus/jizouson/index.html

                              鬼塚車掌

 この逸話は絶対に後世に伝えるべきだ。だって滅多に出来んぞ、こんな自己犠牲の精神の発露を。しかもミーイズムが蔓延した今の日本、でこんな事を咄嗟になんか絶対に出来ない。管理人も含めてだよ。

 書いてるうちに涙が出て止まらない。真似は出来なくても精神だけは絶対に忘れまい。

 下の画像は鬼塚車掌を弔った地蔵尊。


打坂地蔵



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