FC2ブログ

最高の贈り物

ガオー



20181029210653f19.jpg

2018102921065370a.jpg

 縄文の歌姫葦木ヒロカさんからのクラウドファンのリターン、ポストカードやメッセージやCDと一緒にガオーTシャツまで頂いて。俺ぁいの宝物だじ、ずっと大切にしよっと。
スポンサーサイト

何故(なじぇ)かパヨクはダンマリ

12歳の少女のからだに刻まれた済州4・3の記憶

10/27(土) 7:16配信
慰安婦第五種補給品

[済州4・3企画 椿に尋ねる 2部(3)] 江汀マウル(村)の12歳の少女に加えられた 「西北青年会」出身軍人の拷問 3歳上の姉は、法還支署に連行され過酷な拷問受け 兄は行方不明…母は姉妹の前で銃殺され 「猫を見ただけでその時の情景を思い出し今もからだが震える」 多くの住民が犠牲になった江汀マウルは海軍基地で苦痛

「コパン(小規模食糧倉庫)にある穀物を食べようとしてネズミが行き来するじゃない。それを見た猫が私の背中を踏んで“ダダダッ”と追いかけて。電気も点いていないコパンにいるだけでも怖いのに、私のからだの上でネズミと猫が飛び回ることがもっと恐かった。一人身を縮めてブルブル震えていました」

 今月20日、チョン・スンヒさん(82)に会うため済州オルレ(小道)7コースにある西帰浦市(ソギポシ)江汀マウルを訪れた。5月に続き2回目の訪問だった。チョンさんは、中庭の木枝を整理していた。済州(チェジュ)4・3が起きた1948年、当時12歳の少女だったチョンさんは、70年が過ぎた今でも恐ろしい拷問の記憶を振り払えずにいた。下の兄のチョン・ドンホさん(当時17歳)を捜して家を包囲した軍人たちが、下の姉を近隣の法還(ポプファン)支署に、チョンさんを江汀小学校に連れて行った。チョンさんは、学校の前のわらぶき屋根の家のコパンに拘禁された。10坪もないわらぶきの家の居間には、西北青年会で構成された軍人が泊まっていて、別の部屋は拷問室になっていた。彼らは「兄を匿ってお前たち姉妹が食べ物を運んでいるのを見た人がいる」として、チョンさんに残忍な苦痛を加えた。

12歳の少女に水拷問・電気拷問まで

 「丈夫な紐で足と腰、胸と腕とを束縛し、扉に縛り付けて。そして逆さに立てて地面にドンドンと打ち付ける。頭がどうなると思う?」。チョンさんが自身の頭頂部をなでながら「その時、髪が抜けて、ここがすっかり擦り剥けてしまった」と話した。彼らは、ヤカンに入れた水をチョンさんの鼻と口に無理やり注ぎもした。

 「水を吸い込めば、これで死ぬんだなと思うほど息が詰まった。正直に言えと言って、鉄串を歯の間に刺し入れて、強制的に口を開かせた。その時以来、ずっと歯が2本無いまま生きてきた」。歯を見せながら当時の姿を再現するチョンさんの顔には深い皺が刻まれていた。

 「それはまだマシな方。水を飲まされて腹が膨れると、腹をドンドンと押す。ぐっと息が止まる。するとバケツに水を汲んできて浴びせる。“ビクッ”として目が覚める」

 軍人は幼い少女のからだに電気拷問まで加えた。「それもまだマシだった。竹の棒に金具をぶら下げて、脚をブスッブスッと刺した。すると“ジューッジュー”と音がした。脚から血膿が流れ出た。胸や肩も刺して、腫れあがってしまった」。チョンさんは「それはまだマシ」という言葉を繰り返した。ますますあくどい拷問が続いたという意味だ。

 1948年冬、済州には珍しく大雪が降った。拷問で痛めつけられたチョンさんが寒風が吹き込むコパンの隙間から眺めた外の景色は一面白い雪に覆われていた。寒気がチョンさんを一層苦しめた。拷問を加えた彼らは、寒い冬にもかかわらずチョンさんを濡れた薄い服で放置した。食べ物は一日に一回投げられる子供の掌ほどの握り飯だけだった。法還支署に連行された3歳年上の姉も同じような拷問に遭った。

死の淵からようやく生きて戻ってきたが…

 チョンさん姉妹が連行されたのは、1948年11月21日に近所の中文里(チュンムンリ)の道路整備作業に動員された中学生の兄が西北青年会の軍人に殴打され銃で撃たれた後に行方不明になった直後だった。チョンさんは「兄と同じような年頃の5人がトラックに乗せられて、一人の子どもがこんな車に乗るのは初めてだと言って笑うと、笑ったなと言って銃尻で殴ったと言う。うちの兄が『子どもが笑って何が悪い』と制止すると、軍人数人が『なんだ、この野郎』と言って兄を銃尻で滅多打ちにしたと。中文のある川辺に着いて、兄が橋の下に飛び降りると、軍人が弾丸が無くなるまで銃を撃ったと言う。その後、兄の姿は見ていない」

 チョンさんは、兄と一緒にトラックに乗った“笑った子ども”が、後日訪ねてきて「自分の代わりに死んだ」と言って、その時の状況が分かったと話した。

 チョンさんは「ある住民が、私たち姉妹が兄を匿って食べ物を運んでいると嘘の告げ口をしたせいで、あの拷問に遭った」と話した。チョンさんは、軍人に告げ口した住民との対面を要求した。ひどい拷問にもかかわらず兄の行方を言わないので、軍人はその住民をわらぶきの家に呼んだ。チョンさんは彼に駆け寄って「兄に会いたい。どこにいるのか。教えてほしい」と泣き叫んだ。軍人は「子どもが嘘をついているようには見えない。正直に言え」と言って殴ると、彼は「見間違ったようだ」と言ったという。しばらくしてチョンさん姉妹は解放されて自宅に帰ったが、西北青年会の軍人たちは姉妹を「暴徒のガキ」に名指しして動態を監視した。数日後の1948年12月16日、西北青年会の軍人たちは、チョンさんの母親とチョンさん姉妹を含めて多くの住民たちを学校の西側のメモル山に引き立てた。その時、近づいてきたある軍人が「子どもたちには罪がない。やりすぎではないか」と言って、チョンさん姉妹の手を握り出て来させた。そのようにして死の淵から生還した。


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181027-00031942-hankyoreh-kr

人権利権

 おや?韓国左派系のハンギョレが報じてるのに、日本の人権派は何も言わないの?自国民を平気で虐待する隣国の所業は見て見ぬ振りして、所謂従軍慰安婦問題では検証なしの証言のみで我国を散々悪しざまに罵ってたのになあ。
 この有り様こそが所謂人権派市民団体とやらだ。我々日本人は、自国民に対して無慈悲な虐待なんぞ決してしない。それが万年遡っての民族性というもの。然るに周辺国は同朋に対しても平気で引き金を引く残虐民族ばかりだ。それらが戦後巧妙に日本に入り込み、【市民】を名乗って日本を壊そうとしている。壊される前に●してしまうべきだ。


チョンバルサン

答えは簡単

元「中国人慰安婦」の“ウソ”と真実…遺族の証言はどこまで信じられるか?

過去に本サイトでも登場した中国・深?のネトゲ廃人村や広州のアフリカ村への取材から、果ては大連のラブドール工場探訪記まで収録された、ルポライターの安田峰俊氏の著書『さいはての中国』が好調だ。
同書の後半部分では、南京やカナダ・トロントの対日歴史問題追及運動の当事者にも切り込み、彼らの実態に迫っている。

今回は同書の第7章に登場する、南京の中国人元慰安婦遺族への取材部分を改稿して寄稿してもらった。
日中両国の政治的意向と様々なプロパガンダの影に隠れた、虚実入り交じる証言の先にあるものとは――?

■養母が“慰安婦”だった

その家は中国江蘇省の農村の奥まった場所にあり、まことにみすぼらしかった。
2015年末の江蘇省は底冷えがする。すでに日は落ちており、あたりはいっそう凄凄(せいせい)とした感じがあった。
やがて、家の奥から黒い帽子にジャンパー姿の歯並びの悪い男性が姿をあらわした。
唐家国、当時58歳。南京市郊外にある、湯山鎮湯家村で暮らす農民だ。
体つきは小柄で痩身だが、健康的な痩せかたではなく実年齢よりもかなり老けて見えた。

私はこのとき、小学館『SAPIO』の取材で南京市内に完成したばかり(当時)の慰安婦陳列館を訪れるため現地に来ており、事情をもっと深く知るために元慰安婦の「当事者」を名乗る人物やその関係者を探していた。
結果、見つかったのが唐である。
彼の養母・雷桂英(2007年4月逝去)は、若いころに日本軍の慰安婦だったとされる人物だ。
当時、中国全土で元慰安婦を名乗る女性は20人足らずしか生存しておらず、南京市付近で会えるのは遺族である唐だけだった。

■共産党員の通訳を介しての取材

「雷桂英さんについて教えてください」
だが、唐に話しかけてすぐ、まともに会話が成り立たないことがわかった。
文化大革命世代の農民である唐は標準中国語をほとんど話せず、現地の方言を喋るばかり。
筆談を試みたが、文字の読み書きが苦手らしく埒が明かない。

やむを得ず、同行していた地元の共産党員に方言から標準語に通訳してもらう。
彼は対日歴史問題の「調査」をおこなっている人物で、はっきり言って非常に政治的なバイアスがかかっているのだが、農村で慰安婦遺族を探すような取材ではこの手の相手に頼らざるを得ない。
話に偏りがあるのは承知の上で、虚のなかに含まれる実を見つけるしかないのである。

■12歳で「慰安所」なる場所を紹介された

唐によると、養母の「元慰安婦」雷桂英は1928年生まれ。
彼女は7歳で父を失い、やがてよその家へ童養?に出された
(※童養?とは、成長後にその家の男性の妻になるのを前提に、女児を他家に売る中国の旧習。貧しい家庭では一種の口減らしとしておこなわれる例が多かった)。

童養?は「嫁ぎ先」で虐待を受ける例も多く、桂英も似た境遇だったのだろう。
彼女は12歳になった1940年に養家を飛び出し、やがて翌年の上半期に50歳くらいの女性から「慰安所」なる場所を紹介されて、「そこでは食っていける」と説明された。

■養母が被った「抗日戦争の被害」とは

ただしこの時点では、まだ幼いため慰安婦としての雇用ではなかったという。
当時、桂英が直接被ったとされる「抗日戦争の被害」は以下のようなものだ。
「ある日本兵が(当時は子守り係だった)桂英に肉体関係を迫り、彼女が断ったところ、怒って太ももを刺した。桂英は助けてほしいと叫び、他の人がやってきたところ、刺した男は逃げた。慰安所の主の山本が(外出先から)戻ったあと、桂英がケガをしているのを見て病院へ連れて行った。ケガは1ヶ月ほどでよくなった」

唐によると、当時の山本の慰安所には十数人の20代前半の女性が慰安婦として働いていた。
1943年、慰安婦の数が足りず、15歳になった桂英もそちらの仕事をさせられた。

「生前、桂英さんは日本人をどう言っていましたか?」とも聞いてみる。
「日本兵が人を殺すところを直接見たと言っていた。ただ、日本兵には民家に押し入った後で、家のなかに仏像や十字架があるのを見て家人を殺さずに引き上げた人もいた、と言っていた」
少し大きい文字
標準中国語との通訳を介しているうえ、唐の話自体があまり論理的な感じではない。
当方の質問の意図をしっかりくんで答えてくれているのか、ちょっと不安も覚える。
しかも、この話は彼の養母が死の前年に語った内容の伝聞だ。
それでも根気強く聞くよりほかはない。


http://news.livedoor.com/article/detail/15450629/

 一言で決着つくわ。「王様は裸だ。」

慰安婦 ネッシー・つちのこ性奴隷

公益に反する公共媒体には、くふふ

狗HK値下

 NHK内では、値下げ幅について「数%・数十円」などの案も出ている。

 値下げの時期については検討しているが、NHK経営委員会の石原進委員長(JR九州相談役)は9日、次期(21~23年度)経営計画の策定を待たず、20年度以前に値下げする可能性にも言及しており、NHK内で検討している。NHKの受信料収入は、最高裁判決を受け、4年連続で過去最高を更新している。

 受信料の値下げは、総務省の有識者会議が7月、NHKにテレビ番組のインターネット常時同時配信の実施を容認する条件として求めていた。NHKは先月27日、同会議で、次期経営計画の策定までに受信料の「値下げを含めた還元のあり方」について一定の結論を出すと回答。検討状況は年末にも公表するとしていた。【犬飼直幸、屋代尚則、井上知大】

毎日新聞2018年10月12日 12時50分(最終更新 10月12日 12時56分)


マスゴミ犬HKタンクトップ
http://mainichi.jp/articles/20181012/k00/00e/040/296000c

 侮日にしては正論を書いて報道してるな。公共放送を謳いながら特定思想をばら撒いたり、特定アジアの走狗と化した狗HKなんぞ無収入の借金火車がお似合いだ。だからといって侮日のヘンタイ報道が相殺されはせんけどな。

火つけの尻に火が付いた

韓国「旭日旗」禁止法案提出にネットも騒然 社旗が似ている朝日新聞、ソウル支局では掲揚せず!?

 韓国与党「共に民主党」の国会議員が、日本海軍の軍艦旗であり、海上自衛隊も採用する「旭日旗」などの使用を禁じる、非常識な法案を提出した。韓国は過去にも、同旗や同旗に近いデザインを糾弾する異常行動を取ってきたが、またまたヒートアップしている。こうしたなか、旭日旗に近いデザインで知られる朝日新聞の社旗も注目されている。何と、同社のソウル支局では、社旗が掲揚されていないことが分かった。

 隣国のあきれた法案は「旭日旗をはじめとした帝国主義、戦争犯罪を象徴する衣類、旗、小物などの製作、流布や、公共交通機関、集会、公衆の前での掲示、着用、携帯」を処罰の対象とするもの。与党議員は同時に、旭日旗などを掲揚した船舶の領海航行を禁じる法案まで提出した。

 韓国・済州(チェジュ)島で10~14日に開かれる国際観艦式で、海自艦船が「旭日旗」を掲揚することに、韓国政界やメディアが「帝国主義の象徴」などと、大騒ぎしていることが背景にある。

 そもそも、軍艦旗の掲揚は、軍艦と民間船を区別する国際ルールである。旭日旗をめぐる悪意に満ちたキャンペーンと大騒ぎは、「慰安婦」「徴用工」に続く、韓国による新たな「反日」材料といえる。

 同様の法案は、2013年にも提出された。

 菅義偉官房長官は当時、「日本国内で広く使用されている」「大きな誤解がある」と反論。日本政府の申し入れもあり、法案は成立しなかったが、「従北・反日」の文在寅(ムン・ジェイン)政権の下では、どうなるか分からない。

 ところで、旭日旗と、朝日新聞の社旗は類似したデザインだ。ネット上も、《朝日新聞、社旗を掲揚できなくなりますね》《韓国世論が、朝日新聞の旗には何も言わないのが不思議でならない》などと騒然としている。

 夕刊フジは3日、朝日新聞に対し、(1)韓国側から(社旗について)問い合わせや要請を受けたことがあるか(2)あった場合、どのような内容だったか(3)ソウル支局に社旗は掲示(掲揚)されているのか。法案が可決した場合、対策は考えているか(4)社旗の由来は「旭日旗」か(5)韓国の法案提出への見解-について質問状を送付した。

 同社広報部から同日夕、(1)(2)については「確認できません」。(3)には「掲示していません」。(4)には「1879(明治12)年1月の創刊時から昇る朝日とその陽光の社章を使っており(ます)」。(5)には「回答を控えます」-との回答文書が届いた。

 朝日新聞は誇りある社旗を、ソウル支局では掲揚していないわけだ。

 ともかく、理不尽な「反日」圧力に屈してはならない。


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181005-00000008-ykf-int

 わ~はっはっはwww。反日国家に散々ご注進して忠誠を誓ってた反日メディアの正体極まれりだ。要は商業主義の【純然ジャーナリズム】にして【保身主義】だったってことさ。ペンの正義に命を懸ける正義感ゼロの売文屋がアカ匪の正体。

 現在売上部数激減業界で底支えしてるんはインテリ気取りの文盲世代位だろうよ。アレ等ももうじき墓場行きだ。共にたむれて潰れてしまえ。進歩主義から冷戦崩壊の現実を直視できなくなった老害の慰めペーパーでしかないわ。はっきり言おう、社会に不要だ。

マスゴミ知っているのかその新聞を
プロフィール

dame狼

Author:dame狼

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR