また沖タイか

[読書]神奈川新聞『時代の正体』戦争止める 記者の覚悟

                また、おまいらか

2016年9月10日 12:36

 記事が偏っているのではないか-。そう問われた記者は、紙面で答えた。

 「偏っていますが、何か」

 権力批判こそが新聞の役割の一つなのだから、読み手によってはそう受け取られることもあるだろうし、そもそも偏っていない記事などあるのかと、記者は逆に問いかける。

 安っぽい挑発とは違う。本書の元となる神奈川新聞の連載企画を貫くのは、余計な遠慮も忖度(そんたく)も、あるいは安易な妥協も抜きにした、記者のヒリヒリするような“覚悟”だ。

 時代はいま、排他と差別の気分に満ちている。戦後という時間を否定し、「新しい戦前」を目指す動きが活発化している。安全保障は暴走した。復古調の教科書も登場した。在日米軍基地の押し付けに反対する人々は「売国奴」と罵(ののし)られ、外国籍住民に対するヘイトスピーチは止まらない。真に記者であるならば、そんな時代と添い寝している暇などないはずだ。その危機感が、こうした現場へ取材班を走らせる。抗(あらが)う人々の中に、抑圧の路上に。それぞれの風景をていねいに描写しながら、抵抗の言葉を積み重ねていく。そして記者のひとりは訴える。「絶望は声を上げなくなったときにやってくる」

 メディアの悪癖ともいうべき“両論併記”を排した姿勢が胸を打つ。「ジャーナリズムの役割とは、突き詰めれば、戦争を食い止めることだ」。その立ち位置から一歩も動くことはない。

 本書の書き手たちとは、私も取材現場で顔を合わせることが多い。そのうちの一人に「会社の内外から風当たりは強くないか」と尋ねたことがある。即座に答えが返ってきた。

 「風も空気も読まない。本当は、どこの新聞記者であっても、みながそうあるべきだと思う。そうすることで、もっと新聞が面白くなる」

 軸足を持った記者は違う。

 以前、沖縄の新聞記者たちを取材した時にも同じものを感じた。書くことの使命を抱えた記者の言葉は生きている。記事が生きている。鼓動と息づかいが響いてくる。自分が書かずに誰が書くというのだ、という強い思いが伝わってくるのだ。(安田浩一・ジャーナリスト)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/61516


 常識的に考えて支離滅裂すぎるわ。いくら活字媒体とはいえ、“両論併記”を排した姿勢 ってそんなの民族派の街宣活動にも及ばない、場末の酔っ払い親父の政局談義以下だろうが。所謂独善であり、それに使命感を憶えることは単なるナルシズムであり、それによって一定の世論が形成されたならミスリード、詰まりはこいつらの方こそ新たな戦前へと国民を誤らせる害悪でしかないわ。しかも駄文書いて給料貰って、ある意味羨ましいわ。百田じゃねえが、こんな媒体は国民が立ち上がって潰すべきだ。

 これぞ沖縄県民の声だ。

沖縄県民の本当の気持ち_convert_20160911015444


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