ライフラインで金を儲けようとした結果
【太陽光発電は人を幸せにするか】(32)
相次ぐ崩落、自治体の堪忍袋の緒が切れた
太陽光発電は人を幸せにするか
福島県いわき市小名浜上神白(かみかじろ)の太陽光発電所。 がけ崩れや土砂の崩落を繰り返した東京都渋谷区の太陽光発電業者は、 同市の要領に基づく小規模林地開発計画書を提出しなかったり、 伐採届を出さずに山林を伐採し、土砂流出対策を怠っているとして、 何度か行政指導を受けた。
いわき市は市の行政指導を業者が守らず、8項目の法令違反がある として、経済産業省東北経済産業局に改正FIT法に基づき
平成30年7月、通報した。全国で初めてのことだった。 同局は8月、現地を調査した。今後の判断が注目される。
この業者に取材すると、社長が対応した。
社長は「各種許認可の交渉を水戸市のコンサルタント会社に依頼し、 木々の伐採や斜面の工事は同市の建設会社に発注した。法令に従って いると思っていたが、いわき市から各種申請が出ていないことを 知らされた」と弁明した。
その上で「被害を与えた方にはお詫びし、補償もした。受け入れて もらった。何とか記事にするのを見送ってくれないか」と懇願した。 (被害を受けた男性は「見舞いは受けたが、補償はしてもらって いない」と答えた)
https://www.sankei.com/premium/news/190324/prm1903240001-n1.html
日本の電力事情、というよりは東日本大震災にかこつけての金儲けを目論んだ結果だろう。そもそもソーラー発電とは大規模に行うには未だに法整備すらされていないのが現状なのに、当時首相だったバカの余計な思いつきで。↓↓↓↓↓
単なる儲け主義だけでライフラインに関わると今に取り返しがつかない大事故に繋がるぞ。
相次ぐ崩落、自治体の堪忍袋の緒が切れた
太陽光発電は人を幸せにするか
福島県いわき市小名浜上神白(かみかじろ)の太陽光発電所。 がけ崩れや土砂の崩落を繰り返した東京都渋谷区の太陽光発電業者は、 同市の要領に基づく小規模林地開発計画書を提出しなかったり、 伐採届を出さずに山林を伐採し、土砂流出対策を怠っているとして、 何度か行政指導を受けた。
いわき市は市の行政指導を業者が守らず、8項目の法令違反がある として、経済産業省東北経済産業局に改正FIT法に基づき
平成30年7月、通報した。全国で初めてのことだった。 同局は8月、現地を調査した。今後の判断が注目される。
この業者に取材すると、社長が対応した。
社長は「各種許認可の交渉を水戸市のコンサルタント会社に依頼し、 木々の伐採や斜面の工事は同市の建設会社に発注した。法令に従って いると思っていたが、いわき市から各種申請が出ていないことを 知らされた」と弁明した。
その上で「被害を与えた方にはお詫びし、補償もした。受け入れて もらった。何とか記事にするのを見送ってくれないか」と懇願した。 (被害を受けた男性は「見舞いは受けたが、補償はしてもらって いない」と答えた)
https://www.sankei.com/premium/news/190324/prm1903240001-n1.html
日本の電力事情、というよりは東日本大震災にかこつけての金儲けを目論んだ結果だろう。そもそもソーラー発電とは大規模に行うには未だに法整備すらされていないのが現状なのに、当時首相だったバカの余計な思いつきで。↓↓↓↓↓
単なる儲け主義だけでライフラインに関わると今に取り返しがつかない大事故に繋がるぞ。
百年前の我が国と現在
日本での「忘れがたい経験」
1936年、黒人運動の指導者デュボイスは、満州に1週間、中国に10日間、日本に2週間滞在して、「ピッツバーグ・クリア」紙に「忘れがたい経験」と題したコラムを連載した。
デュボイスが東京の帝国ホテルで勘定を払っている時に、「いかにも典型的なアメリカ白人女性」が、さも当然であるかのように、彼の前に割り込んだ。
ホテルのフロント係は、女性の方を見向きもせずに、デュボイスへの対応を続けた。勘定がすべて終わると、彼はデュボイスに向かって深々とお辞儀をし、それからやっと、その厚かましいアメリカ女性の方を向いたのだった。フロント係の毅然とした態度は、これまでの白人支配の世界とは違った、新しい世界の幕開けを予感させた。
母国アメリカではけっして歓迎されることのない」一個人を、日本人は心から歓び、迎え入れてくれた。日本人は、われわれ1,200万人のアメリカ黒人が「同じ有色人種であり、同じ苦しみを味わい、同じ運命を背負っている」ことを、心から理解してくれているのだ。
(同 p109-118)
さらに、この旅で、デュボイスは日本人と中国人との違いを悟った。上海での出来事だった。デュボイスの目の前で4歳くらいの白人の子どもが、中国人の大人3人に向かって、どくように言った。すると、大人たちはみな、あわてて道をあけた。これはまさにアメリカ南部の光景と同じではないか。
上海、この「世界一大きな国の世界一立派な都市は、なぜか白人の国によって支配され、統治されている」。それに対して、日本は、「有色人種による、有色人種の、有色人種のための国」である。
人種的差別撤廃提案
人種的差別撤廃提案(じんしゅてきさべつてっぱいていあん Racial Equality Proposal)とは、第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会において、大日本帝国が主張した、人種差別の撤廃を明記するべきという提案を指す。この提案に当時のアメリカ合衆国大統領だったウッドロウ・ウィルソンも賛成だったが、イギリス帝国の自治領であったオーストラリアやアメリカ合衆国上院などが強硬に反対し否決された。国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%A8%AE%E7%9A%84%E5%B7%AE%E5%88%A5%E6%92%A4%E5%BB%83%E6%8F%90%E6%A1%88
20世紀の日本人は、なぜアメリカの黒人から尊敬されていたのか?
MAG2 NEWS2016年11月15日04時45分
かつてアメリカでは、日本人に対する差別が公然と行われていたことはよく知られた事実です。そのような状況に対して、怒り、日本人を尊敬し、時に助けてくれた心強い「仲間たち」がいたことをご存知でしょうか。無料メルマガ『Japan on the Globe−国際派日本人養成講座』では、アメリカの黒人たちと日本人の強い絆、そして黒人運動の指導者が見た「中国と日本の違い」が紹介されています。
人種平等への旗手〜米国黒人社会の日本観
全米1,200万の黒人が息を飲んで、会議の成り行きを見守っている。
1919年、パリ講和会議。第一次大戦の惨禍を再び繰り返すことのないよう、国際連盟創設のための議論が進められていた。米国の黒人たちが注目していたのは、国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れるという提案を掲げて参加した日本であった。
日本の全権使節団がパリに向かう途中、ニューヨークに立ち寄った時には、「ボストン・ガーディアン」紙の編集長モンロー・トロッターなど、黒人社会の指導者4人が、「世界中のあらゆる人種差別と偏見をなくす」ことに尽力してほしい、と嘆願書を出した。自国のウィルソン大統領が講和会議の議長役をするというのに、それをさしおいて、わざわざ日本の使節団に嘆願したのである。
われわれ(米国の)黒人は講和会議の席上で「人種問題」について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うものである。
全米黒人新聞協会が発表したコメントである。人種差別に苦しむアメリカ黒人社会は、有色人種でありながら世界の大国の仲間入りした日本を、人種平等への旗手と見なしていた(『20世紀の日本人 アメリカ黒人の日本人観』p71-76)。
しかし、本誌52号「人種平等への戦い」で紹介したように、日本の提案は16カ国中、11カ国の賛成票を得たが、議長であった米国大統領ウィルソンの「全会一致でない」という詭弁によって退けられた。ウィルソンは、人種平等を盛り込んだ連盟規約が、米国南部や西部の議員たちの反対で、批准されるはずのない事を知っていたのだ。
アメリカの黒人は、自国の政府の措置に怒り、全米で数万人もの負傷者を出すほどの大規模な暴動が続発した。
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/mag2/nation/mag2-227593
百年前の日本は有色人種のホープだった。それが今では拉致された自国民の救助をアメリカにお願いするんだから落ちたもんだな。
拉致被害者救出のためにも、矢張り自主独立の気概を持って自主憲法を制定するべきだろう。
1936年、黒人運動の指導者デュボイスは、満州に1週間、中国に10日間、日本に2週間滞在して、「ピッツバーグ・クリア」紙に「忘れがたい経験」と題したコラムを連載した。
デュボイスが東京の帝国ホテルで勘定を払っている時に、「いかにも典型的なアメリカ白人女性」が、さも当然であるかのように、彼の前に割り込んだ。
ホテルのフロント係は、女性の方を見向きもせずに、デュボイスへの対応を続けた。勘定がすべて終わると、彼はデュボイスに向かって深々とお辞儀をし、それからやっと、その厚かましいアメリカ女性の方を向いたのだった。フロント係の毅然とした態度は、これまでの白人支配の世界とは違った、新しい世界の幕開けを予感させた。
母国アメリカではけっして歓迎されることのない」一個人を、日本人は心から歓び、迎え入れてくれた。日本人は、われわれ1,200万人のアメリカ黒人が「同じ有色人種であり、同じ苦しみを味わい、同じ運命を背負っている」ことを、心から理解してくれているのだ。
(同 p109-118)
さらに、この旅で、デュボイスは日本人と中国人との違いを悟った。上海での出来事だった。デュボイスの目の前で4歳くらいの白人の子どもが、中国人の大人3人に向かって、どくように言った。すると、大人たちはみな、あわてて道をあけた。これはまさにアメリカ南部の光景と同じではないか。
上海、この「世界一大きな国の世界一立派な都市は、なぜか白人の国によって支配され、統治されている」。それに対して、日本は、「有色人種による、有色人種の、有色人種のための国」である。
人種的差別撤廃提案
人種的差別撤廃提案(じんしゅてきさべつてっぱいていあん Racial Equality Proposal)とは、第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会において、大日本帝国が主張した、人種差別の撤廃を明記するべきという提案を指す。この提案に当時のアメリカ合衆国大統領だったウッドロウ・ウィルソンも賛成だったが、イギリス帝国の自治領であったオーストラリアやアメリカ合衆国上院などが強硬に反対し否決された。国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%A8%AE%E7%9A%84%E5%B7%AE%E5%88%A5%E6%92%A4%E5%BB%83%E6%8F%90%E6%A1%88
20世紀の日本人は、なぜアメリカの黒人から尊敬されていたのか?
MAG2 NEWS2016年11月15日04時45分
かつてアメリカでは、日本人に対する差別が公然と行われていたことはよく知られた事実です。そのような状況に対して、怒り、日本人を尊敬し、時に助けてくれた心強い「仲間たち」がいたことをご存知でしょうか。無料メルマガ『Japan on the Globe−国際派日本人養成講座』では、アメリカの黒人たちと日本人の強い絆、そして黒人運動の指導者が見た「中国と日本の違い」が紹介されています。
人種平等への旗手〜米国黒人社会の日本観
全米1,200万の黒人が息を飲んで、会議の成り行きを見守っている。
1919年、パリ講和会議。第一次大戦の惨禍を再び繰り返すことのないよう、国際連盟創設のための議論が進められていた。米国の黒人たちが注目していたのは、国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れるという提案を掲げて参加した日本であった。
日本の全権使節団がパリに向かう途中、ニューヨークに立ち寄った時には、「ボストン・ガーディアン」紙の編集長モンロー・トロッターなど、黒人社会の指導者4人が、「世界中のあらゆる人種差別と偏見をなくす」ことに尽力してほしい、と嘆願書を出した。自国のウィルソン大統領が講和会議の議長役をするというのに、それをさしおいて、わざわざ日本の使節団に嘆願したのである。
われわれ(米国の)黒人は講和会議の席上で「人種問題」について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うものである。
全米黒人新聞協会が発表したコメントである。人種差別に苦しむアメリカ黒人社会は、有色人種でありながら世界の大国の仲間入りした日本を、人種平等への旗手と見なしていた(『20世紀の日本人 アメリカ黒人の日本人観』p71-76)。
しかし、本誌52号「人種平等への戦い」で紹介したように、日本の提案は16カ国中、11カ国の賛成票を得たが、議長であった米国大統領ウィルソンの「全会一致でない」という詭弁によって退けられた。ウィルソンは、人種平等を盛り込んだ連盟規約が、米国南部や西部の議員たちの反対で、批准されるはずのない事を知っていたのだ。
アメリカの黒人は、自国の政府の措置に怒り、全米で数万人もの負傷者を出すほどの大規模な暴動が続発した。
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/mag2/nation/mag2-227593
百年前の日本は有色人種のホープだった。それが今では拉致された自国民の救助をアメリカにお願いするんだから落ちたもんだな。
拉致被害者救出のためにも、矢張り自主独立の気概を持って自主憲法を制定するべきだろう。
大手メディアは報じない
「辺野古と石垣は別」 市長、反対派来援に不快感 陸自配備 反対派住民と対話継続
沖縄防衛局が陸上自衛隊配備に向けた用地造成工事に着手したことを受け、石垣市の中山義隆市長は1日、報道陣の取材に対し「反対している人がいる。意見も聞きながらやってほしい」と述べた。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の辺野古移設に反対する勢力が陸自配備反対運動の応援に入っているとの認識を示し「地元の人が混乱する。辺野古と石垣は問題が別だ。辺野古に反対している人が入って来て(地元の陸自配備反対派と)活動を共にするのは良くない」と不快感を示した。
反対派住民から、市が防衛省と住民の調整役を果たしていないと批判の声が出ていることについて「3年近く対話を模索してきた。住民の意見を防衛省に伝える作業は今後ともやっていく」と強調。住民側から面会の要請があれば応じる考えを重ねて示した。
陸自配備予定地となっている市有地の売却を今後、議会に諮る考えを示したが、時期は明言しなかった。「施設の配置はゴルフ場だった場所がメインなので、市有地はそれほど急いでいないと思う」と述べた。
反対派からは、工事がカンムリワシの生息に与える悪影響を懸念する声が上がっているが「懸念は防衛省に伝え『配慮する』と回答をもらっている」と指摘。ただ「防衛省任せにはしない」と述べ、市としても環境への影響を注視する考えを示した。
開会中の3月議会では、野党が陸自配備の賛否を問う住民投票条例案を議員発議する見通し。中山市長は「推移を見守りたい」と述べる一方「私から住民投票を提案することはない」とした。
http://www.yaeyama-nippo.co.jp/archives/5635
この市長さんよく言ってくれた。大体基地反対派は殆どが内地から入り込んだ自称市民のパヨク過激派と在日ばっかりだからな。
お里が知れる連中に惑わされず、地元の人たちの是々非々は尊重したい。
沖縄防衛局が陸上自衛隊配備に向けた用地造成工事に着手したことを受け、石垣市の中山義隆市長は1日、報道陣の取材に対し「反対している人がいる。意見も聞きながらやってほしい」と述べた。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の辺野古移設に反対する勢力が陸自配備反対運動の応援に入っているとの認識を示し「地元の人が混乱する。辺野古と石垣は問題が別だ。辺野古に反対している人が入って来て(地元の陸自配備反対派と)活動を共にするのは良くない」と不快感を示した。
反対派住民から、市が防衛省と住民の調整役を果たしていないと批判の声が出ていることについて「3年近く対話を模索してきた。住民の意見を防衛省に伝える作業は今後ともやっていく」と強調。住民側から面会の要請があれば応じる考えを重ねて示した。
陸自配備予定地となっている市有地の売却を今後、議会に諮る考えを示したが、時期は明言しなかった。「施設の配置はゴルフ場だった場所がメインなので、市有地はそれほど急いでいないと思う」と述べた。
反対派からは、工事がカンムリワシの生息に与える悪影響を懸念する声が上がっているが「懸念は防衛省に伝え『配慮する』と回答をもらっている」と指摘。ただ「防衛省任せにはしない」と述べ、市としても環境への影響を注視する考えを示した。
開会中の3月議会では、野党が陸自配備の賛否を問う住民投票条例案を議員発議する見通し。中山市長は「推移を見守りたい」と述べる一方「私から住民投票を提案することはない」とした。
http://www.yaeyama-nippo.co.jp/archives/5635
この市長さんよく言ってくれた。大体基地反対派は殆どが内地から入り込んだ自称市民のパヨク過激派と在日ばっかりだからな。
お里が知れる連中に惑わされず、地元の人たちの是々非々は尊重したい。
また一歩
はやぶさ2 着陸に成功 詳しいデータ分析へ JAXA
生命の起源の解明を目指して、4年余り前に打ち上げられた日本の探査機「はやぶさ2」が、22日午前7時半ごろ、およそ3億キロ離れた小惑星「リュウグウ」への着陸に成功したと、JAXA=宇宙航空研究開発機構が発表しました。JAXAは今後、目的とする岩石の採取などに関わる詳しいデータの分析を行うことにしています。
21日午後1時すぎに高度2万メートルから降下を開始した「はやぶさ2」は、高度500メートル付近で、自動制御に切り替わり、小惑星の大きな岩がない直径6メートルのごく狭い場所への着陸に挑みました。
そして、JAXA=宇宙航空研究開発機構は22日午前、「はやぶさ2」が22日午前7時29分に、小惑星「リュウグウ」への着陸に成功したと発表しました。
着陸では、探査機の下の長さおよそ1メートルの岩石採取装置の先端を地表につけて弾丸を発射し、砕けて舞い上がった岩石を採取することになっていましたが、この弾丸も発射できたということです。
神奈川県相模原市にある「はやぶさ2」の管制室では、JAXAの職員らが笑顔で抱き合ったり、握手したりして喜んでいました。JAXAは今後、岩石の採取などに関わる詳しいデータの分析を行うことにしていて、吉川真ミッションマネージャは「非常にほっとした。惑星科学にとって新しいスタート地点になったと思う」と話しました。
「はやぶさ2」はこのあと、小惑星の上空2万メートルまで戻り、あと1度か2度行われる予定の着陸に備えることになっていて、地球に帰還するのは、来年12月の予定です。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190222/k10011824161000.html
先ずは第一段階成功オメデトウ、心よりお祝い申し上げます。民主党政権の蓮舫のイジメにも耐え抜いての今回のミッションに漕ぎ着けるまでさぞかしJAXAは苦労しただろう。然もこの二月二十二日は志半ばで世を去ったJAXA研究員の御命日でもある。さぞかし喜んでおられるだろう。
あ、間違えた。
生命の起源の解明を目指して、4年余り前に打ち上げられた日本の探査機「はやぶさ2」が、22日午前7時半ごろ、およそ3億キロ離れた小惑星「リュウグウ」への着陸に成功したと、JAXA=宇宙航空研究開発機構が発表しました。JAXAは今後、目的とする岩石の採取などに関わる詳しいデータの分析を行うことにしています。
21日午後1時すぎに高度2万メートルから降下を開始した「はやぶさ2」は、高度500メートル付近で、自動制御に切り替わり、小惑星の大きな岩がない直径6メートルのごく狭い場所への着陸に挑みました。
そして、JAXA=宇宙航空研究開発機構は22日午前、「はやぶさ2」が22日午前7時29分に、小惑星「リュウグウ」への着陸に成功したと発表しました。
着陸では、探査機の下の長さおよそ1メートルの岩石採取装置の先端を地表につけて弾丸を発射し、砕けて舞い上がった岩石を採取することになっていましたが、この弾丸も発射できたということです。
神奈川県相模原市にある「はやぶさ2」の管制室では、JAXAの職員らが笑顔で抱き合ったり、握手したりして喜んでいました。JAXAは今後、岩石の採取などに関わる詳しいデータの分析を行うことにしていて、吉川真ミッションマネージャは「非常にほっとした。惑星科学にとって新しいスタート地点になったと思う」と話しました。
「はやぶさ2」はこのあと、小惑星の上空2万メートルまで戻り、あと1度か2度行われる予定の着陸に備えることになっていて、地球に帰還するのは、来年12月の予定です。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190222/k10011824161000.html
先ずは第一段階成功オメデトウ、心よりお祝い申し上げます。民主党政権の蓮舫のイジメにも耐え抜いての今回のミッションに漕ぎ着けるまでさぞかしJAXAは苦労しただろう。然もこの二月二十二日は志半ばで世を去ったJAXA研究員の御命日でもある。さぞかし喜んでおられるだろう。
あ、間違えた。